K17 催事イベント 白洲次郎生誕120年記念 白洲次郎と正子展 そごう千葉店6階 催事場 現代日本人がお手本にしたい先駆的ライフスタイル
激動の時代を迷わず生きた二人、かくれ里「武相荘」の所蔵品180余点を紹介
白洲次郎
白洲正子
独自のスタイルの武相荘のリビング。野の草花が飾られた渥美壺、正子の実家にあった黒田清輝の油絵、福森雅武作の文福土鍋、次郎自作の竹製のスタンド、槙野文平が正子のサイズに合わせて作った三本足の椅子など、名品や作家物だけでなく、自作アイテムもコーディネートすることでほかにない独自の空間に仕上がっています。竹製調理道具や竹製靴ベラも次郎の自作でした。
左)古い臼を郵便・新聞受けにして武相荘の門前に置いてある。「しんぶん」の文字は次郎が彫ったもの。
右)車箪笥、李朝の膳、魯山人作の織部 木の葉紋の皿など異なる時代と場所で作られた物が調和した空間になっています。
武相荘のガレージの様子。自動車いじりや日曜大工が大好きだった次郎らしい空間。娘のために作った学習机には「桂」の文字の切抜文字、キャスター付きテーブルにはひらがなで「しらす」の文字の切抜があります。自動車いじりのための工具類、畑仕事のための農具もこだわりの海外製の優れた道具類を使っていました。作業用のつなぎは米軍の機械整備工が使用する形のもの。
次郎のオックスフォード時代の親友ロビンがロンドンから送ってきていたウイスキー各種とそれらのボトルを使って次郎が手作りしたウイスキーグラス。手前は正子と二人で京都旅行の際、伊賀の福森雅武の工房で次郎が絵付けした湯のみ。夫婦とも野趣に溢れた食器を愛しました。
1946年、次郎の終戦連絡中央事務局次長の任命状。幣原喜重郎総理大臣の名前があります。
大日本帝国憲法改正を裁可する勅書に署名する昭和天皇の歴史的瞬間をとらえた署名入り肖像写真。恩賜の銀杯は日本国憲法公布記念として作られた物。次郎たちの苦闘の末、日本国憲法が無事に着地できたことで、戦後の日本の経済発展が始まりました。
左)英国テトリー&バトラー製のニッカーボッカースーツ。オーソドックスな英国カントリージェントルマンスタイル。
中)次郎が娘の桂子にプレゼントしたエルメスのケリーバッグ。
右)次郎がサヴィルロウのヘンリー・プールでオーダーしたタキシードスーツ。
左)英国ヘンリー・ヒースのトップハット。
中左)次郎愛用のオシュコシュ社製のトランク
中右)次郎愛用のルイ・ヴィトンのトランク
右)次郎のオックスフォード、クレアカレッジで着用したスクールガウンとスクールタイ。
左)次郎愛用の双眼鏡。東北電力時代の建設現場などでも活躍しました。
右)ドライビング・キャップとゴーグル。ほとんどの自動車がオープンカーだった時代にはドライビングキャップとゴーグルは自動車運転の必需品でした。
ダンヒルとデュポンのライターと18金のロレックス・オイスター。次郎はこのロレックスを香港のカジノでポーカーで勝った英国人実業家から手に入れたという武勇伝が伝わっています。
左)鶴川の自宅からゴルフで通った軽井沢カントリークラブまでの次郎お手製の地図。自らポルシェのエンジンを大排気量のものに乗せ換えたほど晩年までカーマニアだった次郎が素早く運転するため、途中の目印などを細かに記入してあります。
右)次郎は軽井沢カントリークラブに英国式のマナーを植え付けるべく、自らのメッセージ「Play Fast」を書き入れたティーシャツ。その下は愛用のゴルフクラブセット。
次郎が占領軍司令長官を解任され帰国するマッカーサー元帥のために、自ら元帥のシンボル5つ星をデザインして作らせた欅造りのマッカーサーチェア。和洋折衷の独自のデザイン。マッカーサー元帥と次郎は激しく対立して互いに一歩も引かなかった相手ですが、次郎は最後に粋なプレゼントで今までの労をねぎらいました。展示品はレプリカで、本物はアメリカのマッカーサー記念館にあります。
正子と子どもたちに次郎が遺した遺書。有名な「葬式無用」「戒名不用」の文字。「風の男」と呼ばれた次郎らしい、清々しいシンプルな物。
武相荘の北側に面した白洲正子の書斎。この書斎から数々の名作が生まれました。
梅原龍三郎が書いた「韋駄天夫人」の書。日本中の美を求め、一年中全国の知られざる里を駆け回った白洲正子の生き方を良く現わしています。
骨董の道を正子に伝授した青山次郎から正子にあてられた書簡と正子自筆の油絵自画像。正子の油絵は生前、その存在を知られていませんでしたが、没後発見されたもの。
左)婚約時代に次郎に贈った正子のポートレート写真。正子自筆の英語のメッセージ「最愛の人へ」が付いています。
右)1935年の正子のパスポート。
上)白洲正子自筆の歌帖。和式装丁に使われた千代紙は花柄の可愛いらしいもの。
下)白洲正子が着物生地を使って装丁させた特装本。こちらは打って変わって渋いチェックやストライプのモダンな意匠の洋式装丁です。
若いころから能の美に惹かれ、みずから舞台に立った正子の収集品の室町時代初期の老女の能面と能装束。
左)正子の愛した江戸時代中期の片身替わり盆は、現代の作品かと見まごうほどのモダンな意匠。
中)朱漆螺鈿散花文重箱は名工、関野晃平の作品。
右)誰が袖螺鈿盆も江戸時代初期のもの。大胆さ、繊細さ、野趣など、正子は多様な日本の美をとらえてきました。
正子は古墳時代の勾玉や古代玉、ガラスなどを使った指輪や奈良・平安時代の金銅鈴のペンダントなど、希少な品をジュエリー代りに使っていました。
民芸の芹沢銈介の着物、宮中衣装、鹿鳴館ドレス。樺山伯爵家に生まれた正子は能装束からはじまり、あらゆる種類の着物に触れてきたため、着物の美を世の人が気づかないような角度から見つけることが多々ありました。
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